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 平成16年5月に開院させていただきましてから、今年で10年目を迎えることができました。これも日頃当院へ受診していただいております皆様、地域の皆様、いつもご協力いただいております関係業者の皆様、および笑顔で働いてくれているスタッフ一同のおかげと感謝を申し上げます。
 それにしても月日の流れるのは早いもので、開院前の内覧会へ地域の皆様に多数お越しいただきましたのがつい先日のことのように思い出されます。しかし、はじめて診察した時に赤ちゃんだったお子さんが小学生になっていたり、中学生だった子が久しぶりに受診されて立派に成人されていたりということがあると、時の流れをあらためて実感させられます。
 時の流れといえば、最近私の眼科医研修時代を振り返る機会がありましたので、この機会に少しご紹介させていただきます。
 私が名古屋大学眼科学教室に入りましたのは平成3年4月。バブル経済が崩壊したとはいえまだまだその余韻が色濃く残る時代でした。世の中は若貴ブーム一色で医局の談話室でも5時を過ぎるとテレビの前に医師たちが集まり、若貴の勝敗に一喜一憂しながら情報交換をしていました。
 私たち新入医師たちは3ヶ月ごとに外来と病棟を交互に担当しました。外来では視神経疾患の患者さんに散瞳してしまって怒られたり、患者さんを暗室で待たせていることをすっかり忘れてしまってご迷惑をおかけしたり、検査待ちのカルテの山をこなすのに精一杯の日々でした。
 病棟係になると手術室に入って手術の助手ができます。少しでも早く手術ができるようになりたいと思いながら必死でしたが、白内障手術時の介助がうまくできなかったり、硝子体手術時中(当時はひとりの患者さんの手術に3時間以上かかることもしばしばありました)についうとうとして気が遠くなり教官に怒られたりすることもしばしばありました。
 同期の先生方は一年ほど大学病院で研修した後、各地の関連病院へ赴任していきましたが、大学院生だった私はひとり大学に残ることになりました。当時は白内障手術の革新期で、次々といろいろな優れた手技が発表されビデオで見られるようになってきていました。そんななか、同期の先生たちがどんどん手術をできるようになったという話が聞こえてくると、大学で手術には縁遠い私はいつも焦りを覚えていました(後から考えれば全然たいした差ではないのですが、当時はそんな余裕はまったくありませんでした)。そこで当直の日に業者の方に豚眼を持ってきていただいて夜中に外来顕微鏡を使って切開の練習を何度もしたり、機械をお借りして医局でウェットラボ(豚眼を使った手術トレーニング)を企画したりと自分なりに一生懸命だったと思います。
 そんな中で、医局の有志の先生方とスキー旅行に行ったり、渥美半島までテニス旅行に出かけたり、香嵐渓へ紅葉のライトアップを見に行ったりと、今思えば結構楽しく充実した思い出となっています。
 開院して10年目となるとなかなか新しいことに取り組むことができませんが、駆け出し時代の初心を思い出して、いろいろなことにチャレンジしていきたいと思っております。今後も皆様方により良い医療を提供できるようスタッフ一同研鑽していく所存です。まだまだ至らない点も多いとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
なんよう眼科クリニック 院長
日本眼科学会認定眼科専門医
野 村 秀 樹
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